世の中、情報が溢れている時代です。その中には不安や恐怖をあおり、人々の感覚を
麻痺させてコントロールさせてしまうものもあります。気が付いたら、ある商品を買ってしまう。
永遠に続けられればいいですが、経費もかかるし、心も変わります。もしかしたら、その商品
もなくなるかもしれない。私たちの「心」は、コロコロ変わり永遠には続かないものです。それ
なのに“欲”を募らせ、お金をかけさせてしまいます。
ハタヨガをする時はどうでしょう。時間を作り、お金を支払い、労力をかけているのだから、
目標を叶えたい!、あぁなりたい!、こうなりたい!、1つでも多く教わりたい!、早く覚えた
い!・・・など、あせる氣持ちはわかりますが、“欲”を持ちながら、ハタヨガを行わないことです。
結局、それが雑念となり、集中できず効果が薄れることになりかねません。頭の中の利益(欲)
ばかりとらわれると、身体からの声が聴き取れなくなります。回を重ね、一つ一つしっかり行い、
氣の流れが良くなり(いちいち自分で感じなくてもいいのです。固定観念で“氣”はこうだ!と
思わなくていいんです。あぁ、楽になった!すっきりした!とそれだけでいいんです。)、心の波を
静め、継続が心の作用に変化をもたらします。それは大きな岩を木の根と水が少しずつ入って、
岩を割ってしまうように地道に続けることであり、それがとても大切なことです。
1回で良い結果を得られないから無駄だとか、数回で変化がないからやめようということは
せずに、ただただ行って、ヨガを自分のものにしてしまいましょう。一方で日本におけるヨガの
伝授は、大半は師(グル)からのものでないでしょう。多くはテクニック的なものを売りにして、
させているのが現状です。
そのヨガは、自分のために行われていますか?
自分のために何か教えてくれますか?
良い導きをさせてくれていますか?・・・何も感じなければ、そこに答えはないかもしれません。
精神の修練をするためには「瞑想」を行っていきます。このためには、集中が必要です。
ところでこの「集中」も、どう意識をして集中するか(解釈して行うか)によって、心の変化は
違っていきます。その方法は様々であります。たとえば、たくさん頭の中で夢や希望、または
願いを込めて集中していき、自己暗示させる方法があります。積極的な創造性を持って瞑想に
臨み、心を「制御(コントロール)」させ、世の成功へと導くものであります。逆に自分の思いを
一つ一つ消し去り、心の中をどんどん捨てていきながら集中し、精神統一をするため瞑想に
臨み、最後は心を「死滅」させ、無我の境地(解脱、悟りなど)へと導くものがあります。
自分自身が、どうなりたいのか(なることが自然か)、それは今、置かれている状況によっても
異なってくると思います。それによって、方法は変わってくるかもしれませんが、いずれにしても
間違った方向へ、自分(指導する場合は「他人」)を導いてしまってはいけません。
もし「健康で生きたい!」と思っている(これは人間が永遠に願うものであり、万人の思いですが)
のであれば、あせりは禁物です。一歩一歩、前に足を踏み出し、それはまるで山を登り、山頂を
目指すようなものだからです。逆に病気になってしまうというのは、一歩一歩下ってしまうような
状態です。慌てて、また急いで登っても息切れを起こしますし、続かないでしょう。登山の場合、
天候によっては、休む必要もあります。「今日はいいや」と怠けてしまえば、また一歩一歩と下がり、
次第に登る氣持ちもなくなってしまうことでしょう。
さぁ大変です。心を自由にさせてしまったら、崖から転落してしまうようなものです。たとえ一人一人
登る山は違っても、また登るルートが違っても、しっかり計画を立てて着実に進まなければ、願う
ところに辿りつけないのです。
他力(ヨガの知識)を自力(ヨガの智慧)にしていきましょう。習慣にして自分のものにしてしまい
ましょう。
まずは自分が立ち上がり、一歩一歩前に進んで登りましょう。
写真 「南インドでのツーショット!」
ヨガ担当
豆澤 慎司